名古屋賛助会 半日行修会

内容:朝礼、呼吸操練、統一式運動法、

   積極体操、養動法、安定打坐、

   ひとりマッサージ、座談会

 

名古屋会場:ウィルあいち

                          *晴天時は近隣公園にて戸外修練

日時:62() セミナールーム1

   7月7日(日)

時間:9:15 – 12:00

会費:会員500円、一般1,000

*事前申し込み不要

 

 

豊橋会場:カリオンビル

日時:526()

   623()

時間:9:30 – 12:00

会費:300

 

*事前申し込み不要

 

 

 

 

一日行修会

日時:519()

     9:1512:00 半日行修会で行う内容

     13:3016:30  特別勉強会

会場:ウィルあいち 和室1・2

特別勉強会テーマ:「命、こころ」

講師:森慶子 (敬称略)

 

 

日時:616()

    9:1512:00 半日行修会で行う内容

   13:3016:30  勉強会

   13:30 - 15:00 視聴

   15:00 - 15:10 休憩

   15:10 - 16:30 感想交流会

会場:ウィルあいち セミナールーム1

勉強会内容:アーカイブ視聴 (議題は検討中)

 

 

会費:一日参加の場合

  会員1,000円、一般2,000

  午前もしくは午後のみ参加の場合

  会員500円、一般1,000

 

*事前申し込み不要

 

 

 

 

 

中村天風悟りの地フォトギャラリー

カンチェンジュンガ

世界3RDピーク

 

 

 

 中村天風悟りの地を訪ねて          

今を遡ること、110年程前。 19119月、中村三郎(天風)は、カリアッパ師に連れられてインドのゴーク村に到着した。

この時中村三郎は、奔馬性肺結核を患っており、以前は70kg近くあった体重は30kg代にまで減りやせ細った体になっていた。34歳、働き盛りのはずの身体は死に瀕していた。日清、日露の戦争時に軍事探偵として働きその過酷な生活が影響したのか当時不治の病と言われた奔馬性肺結核にかかってしまっていた。日本の名立たる医者からはことごとく見放され、海外へ行けば心を立て直し身体を治せる人に会えるであろう思い、米、英、独、仏に有名な学者、識者を訪ねて歩いたが、結果は思うようにはならなかった。世界で最も高名な学者と言われた、ドイツのドリュース博士に面会し、心を立て直す方法を質問したところ、それはまだ誰にも分っていない問題だよと言われ絶望に沈む。止む無く死ぬなら日本へ帰って死のうと帰国の途につく。1911523日マルセイユ発の貨物船に乗り込みペナンを目指すことに。スエズ運河でイタリアの軍船が座礁したため、フィリピン人の釜焚きとカイロへ,

ピラミッドを見に行くことにしたが、カイロの宿で喀血。

部屋で休んでいるところをホテルのマネージャーに勧められ食堂へ、そこで出会ったのがヨガの聖者カリアッパ師であった。師はイギリス王室に招かれた帰りであった。中村三郎を見てお前は右の肺に病を抱えている。いまそのまま死に帰ろうとしている。どうだ、まだお前の知らない方法がある。

教えてやるから俺について来い。と誘われ、何の質問もせずに「わかりました」と答えカリアッパ師についていくことになる。

ここから中村三郎の奇跡の復活が始まるのである。

カリアッパ師に連れられてきた地はインドのゴーク村。そこはカースト制度が厳しい地でそこでの中村三郎の処遇は奴隷、寝るのは羊小屋だった。

この地に来て1か月経っても師は何も教えてくれないので、三郎は直訴何故教えてくれないのですかと聞くと、師は此処に着いた時から俺は準備はできている。お前の準備ができていないからといわれ、そんなことはありませんと言うと、では、そこの容器に水を入れて持ってこいと言われ持ってくると、別の容器にも水をいれたものを準備させ、そこからもう一つの容器に水を入れろと言われる。入りませんと答えると、それが今のお前だ。今までの変なプライドが一杯で俺が何を言っても今のお前には入らない。一切のプライドを捨て無垢な気持ちで来いと言われ、それを反省して子供の時のような無邪気な心に立ち返るところからカリアッパ師の指導が始まった。

インドに来て初めに出会ったのが食生活の変化であった。欧米にいた頃は栄養を補充するためということで肉、卵、牛乳等はふんだんに摂っていたのだが、インドでは稗の水漬けと芋や野菜の尻尾だけ、土地柄果物は一杯食べられたという。こんな食事で結核を患う身体を持てるのでしょうか?

師はあそこにいる象を見てみろ、あれは何食べている?稲わらや人間の食べ残しではないかそれなのにお前より立派な身体を維持している。なんだ、象の尻尾ほどの体重しかないくせに。それで嫌ならここから帰るのだね。と言われ、稗を食べていて気付いたのはお腹がすけば稗でも美味しいということだった。こうした生活を続けて行く中でまずは身体がかつてなったほど太ってきたことを味わったことでした。

日常は、ヨガの修行として朝から日暮れまで、山奥に入り滝の脇に座って瞑想を続ける毎日でした。ここで師から与えられたテーマは、宇宙の実相とはという、普段ではとても考えない様な課題でした。人間にとって何の根拠もないところから答えを導き出すのはとても難しいことです。ヨガの修行は自ら悟ること、答えが導き出せなければ何時まで経っても次の段階には行けません。間違った答えをすれば殴られ、考え直さざるを得ない境遇に身を置くことになったわけです。その瞑想の中からなんとなくわかって来たことは、この宇宙は生成発展しているのではないだろうか?ということでした。カリアッパ師に告げると、では人間とは何だというテーマでした。

一つテーマをクリアすると次のテーマが与えられるというわけです。

これにも考え続け、この宇宙を生成していく進化向上のアシスタントとして貢献することが万物の霊長たる人間の役割でないかと気づかされます。

次には、お前とは何だと問われます。人間です。では不可でした。

考え続け、ヒントをもらい、我とは身体でも心でもない霊魂であるということにまで悟り得るのでした。

こうしたテーマについて考え続けるなかで、滝の修行中に身体の最も神聖な状態を会得するように言われます。

クンバハカといい、この修行も自らで悟らない限りは誰も教えてくれないのです。ある日冷たい川の水に浸かっている状態をみてカリアッパ師からお前今の状態はクンバハカができているぞと言われます。

川から上がると今はもうだめだと言われます。

それから何度も繰り返し何とかクンバハカというものに行きつくわけです。

この修行は、論理の悟りの世界から、会得の世界に変わってきた瞬間です。

このクンバハカができたものは、山奥に入り猛獣のいるところでも襲われることがなくなるということで、天風も山奥の修行に入ることになるわけです。

猛獣がいて大滝のある山奥の修行場でした。

そこでのテーマは、まさに会得の究極である天の声を聞くという修行でした。滝の脇で1日坐りながら、地の声(風や鳥の声)を聴く修行に励み、究極の天の声にトライする修行でした。地の声は聞こえても、何か月たっても天の声は聞こえません。何ともならなくなって自棄になり滝の脇に横たわって空を眺めていたとき流れる雲にうっとりして何も感じない状態になりました。直感でこれだと思ったのですが天の声は聞こえません。

カリアッパ師に天の声を味わう状況になったけど何も聞こえませんでしたというと、それが天の声だよと言われます。

天の声とはアブソリュートスティルネルス(絶対の静寂)だよと教えられるわけです。この境遇に身を投じられるようになると病は厚紙を剥がすようによくなっていったと言います。

こうして悟りと会得を自らのものとした天風はインドを後にするのです。

 

 この天風悟りの地を訪ねるべく、この地を訪問してきました。

20202月コロナの流行が始まる直前にネパールを訪れました。

そこはネパールの東の端ゴルケ村、インドとの国境近くの村でした。

ネパールの中でも秘境中の秘境、近くのフィッカルという街からも、4WDの車で舗装のない山道を走ること2時間(つい2年前までは4時間)もかかる場所でした。今でも輸送の手段として驢馬が使われ隣のむらに何時間もかけて輸送する生活が続いています。

素朴な佇まいのなかでの生活が営まれていました。

ゴルケ村から、インド側に坂を上って半日かかるところにマネパンジャン村があります。この村は、インドとネパールの国境の村でめぬき通り沿いに

国境が通っています。インド人とネパール人との交流は緩やかで身分証明書を持っていれば自由に行き来ができますが、外国人にとってはそうはいきません。国境を超えるには車で1日がかりでシリグリという街まで行って国境を超えるしかありません。このマネパンジャンから更に山に登ること車で1時間行ったところにチトレという寺院がありました。

ここはチベット仏教で100年以上歴史のあるドゥッパ派の寺院でした。ここでお会いしたのが、ヨガの指導者でもあるサンドウ師でした。

カリアッパ師の消息を訪ねたのですが、カリアッパ師はカルマ派であり

宗派を越えての消息は分からないとのことでした。

サンドウ師から漂うヨガの聖者の雰囲気はカリアッパ師を想像させるものがありました。

マネパンジャン、ゴルケ村共に秘境の村ではあるのですが、そこで暮らす人々の生活はとても活力を感じさせてくれるものでした。住んでいる子供たちのいきいきとした表情には純粋さを感じさせられました。

ゴルケ村の学校の催しに招待され日常を楽しんでいる様子を見せてもらいました。生徒たちは遠い所では何キロも歩いて通学しているようで秘境ならでは生活にふれることができました。

 

中村天風が、この地で修行して110年あまり、中村天風の教えを受けた関係者が大勢この地を訪れていました。作家のおおいみつる氏や神渡良平氏、その他にも広島の実業家や天風会の関係者の人たち等、これだけの秘境にも関わらずに訪れていました。それが分ったのが、学校での足跡でした。

関係が自治体とのつながりでないため村への寄付ではなく、学校にいろいろな形での寄付をされていました。学校は小中高校で構成されていて周囲から通ってくる生徒たちで、ゴルケ村300戸以外にも遠くから何キロも歩いて通ってくる生徒たちが大勢いました。車も電車もないなかでの学校生活は日本の終戦直後の山の分教所を想像させるものでした。

そこでの生徒たちは、とてもいきいきと生活をしていました。

定期的に行われる文化祭を見学させてもらいました。民族衣装をまとった少女が踊る民族舞踊は歴史を感じさせてくれ、感動させられるものでした。

客人をもてなす歓迎のマフラーを(現地ではカタといいます)をかけてもらい民族舞踊を見学させてもらいました。我々もここ来た記念として、わずかではありましたが寄付をすることにしました。学校からはとても大きな感謝の意を表されました。日本とゴルケ村との間に思わぬ関係があることに改めて感動させられました。

 

いよいよ悟りの滝と言われる滝に行くことになりました。

そこは4WDの車で隘路を行くこと1時間山の中にありました。

言い伝えでは、25年ほど前に訪れた日本人ツアーに当時のゴルケ村の長老が中村天風を覚えていてここで修行をしていたと教えてくれたそうです。

想像したよりも小さな滝でしたが、周囲はまさに神韻縹緲とした雰囲気で包まれていました。

当時を偲ぶすべはありませんでしたが、周りの山々や流れる川はそのままの姿であることを感じさせてくれるものでした。

100年の時を超え、その当時に修行されている姿に想いを馳せわずかながらですが、修行の一端を感じさせてもらうことができました。

 

あらためて、100年前にこのような秘境にまで来られ、よく悟りをひらかれたことに感動させられる旅でした。